三重県内の伝統的な踊りに興味を持ち、調べていたら、踊りがみれるお祭りが新型コロナウイルス感染症拡大の影響により各地で中止になっている事に気付きました。
そこで、「三重県大祭り」というテーマで架空のお祭りを開催する事にし、県内の貴重な文化を伝える作品を作りました。今年度の開催地は三重県尾鷲市街の北部に位置する馬越峠。馬越峠は伊勢と熊野を結ぶ「熊野古道伊勢路」として尾鷲市と紀北町をつないできた参詣道です。
その開催地目指して、三重県内の各地から踊り子達が集まってきています。
さあ、年に一度のお祭りを皆さんで楽しみましょう!
尾鷲節(三重県尾鷲市)
温暖多雨な気候と黒潮によって古くからその自然の恵みを受け、林業、漁業が栄えてきた三重県尾鷲市で歌い継がれている尾鷲節。軽快な笛や太鼓の音、衣装(はっぴ、腰みの、豆絞り)、「ヤサホラエー」の掛け声などが特徴的です。
+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・
(尾鷲市ホームページより)
「尾鷲節」は大変古くから歌い継がれています。
言い伝えによると、1615年の「大阪夏の陣」の戦いで豊臣側について敗れた真田一族が、涙ながらにこの紀州路「尾鷲」に落ちのび、その悲しい思いを「なしょままならぬ、なしょままならぬ、なしょになる身をもたせてや」と歌ったのが、「尾鷲節」のはじまりと言われています。
真田一族が最初に歌った唄は、「なしょまま節」と言われていましたが、1925年に大阪でレコーディングを行い、その時はじめて「尾鷲節」という名前で紹介されました。その後は有名な吉川英治や野口雨情らの作詞により、歌詞も増えていきました。
大正時代には、尾鷲の芸者さんが振付をして踊っていたようですが、1941年の大東亜戦争を契機に踊る機会を失っていたようです。
現在の振付は、1949年に尾鷲観光協会の要請で初代坂東伊三栄師匠により振付けられ、現在に伝わっています。
唐人踊り(三重県津市)
日本のほぼ中央に位置する三重県の県庁所在地、津市で受け継がれている「唐人踊り」。
+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・
(津市ホームページより)
県の無形民俗文化財に指定されている現在の唐人踊は、江戸時代に朝鮮から幕府へ派遣された使者の身なりをまねていると伝えられています。
喜怒哀楽の面をつけ、黄・白・赤色の上着、虎皮模様のズボン、笠、わらじをつけて、ラッパや笛、かね、太鼓のはやしで町を練り歩きます。
(一口メモ)
三重県津市のソウルフードは、15cmの餃子の皮を使った大きな揚餃子「津ぎょうざ」です。
伊勢音頭(三重県津市)
三重県伊勢市内のお祭りなどで見る事が出来る「伊勢音頭」。
「ヤートコセーノヨーイヤナ」伊勢音頭のはやしの一部分です。
一度聞くと頭の中でぐるぐる再生され、つい口ずさみたくなります。
伊勢音頭の曲には、「さわぎ」や「道中」など、種類が多彩なため、色々な踊りを見ることが出来ます。(私は子どもの頃に踊ったと思うのですが、どの曲を踊ったのかは忘れました。)
(絵は伊勢音頭の「さわぎ」です。)
+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・
(伊勢音頭の紹介)(伊勢市ホームページより)
伊勢音頭は、江戸時代に「はやり歌」として日本各地に伝わり、地元伊勢では「踊り歌」として伝承されてきた芸能です。明治以降は一時衰退しましたが、昭和7年(1932)に宮後町の医師、畑嘉聞(はたかもん)らにより復興されました。
このとき復興された伊勢音頭が、参宮の道中歌を元にした「道中伊勢音頭」と、関東で流行した歌を元にした「音曲入伊勢音頭」でした。「道中伊勢音頭」は踊りがなかったため創作し、「音曲入伊勢音頭」は大勢の人が一度に踊りやすいよう工夫を凝らしたことにより、現在の伊勢音頭の礎となっています。
昭和33年(1958)には、それらの伊勢音頭に改良を加えた「新編伊勢音頭」が誕生しました。また、「山田検番」(※芸者たちが籍を置いた事務所のこと。)の芸者たちがお座敷で披露していた伊勢音頭も現在まで受け継がれており、畑嘉聞が復興した当初の伊勢音頭は「古調伊勢音頭」という名で今も残っています。
伊勢音頭の曲は種類も多彩で、「道中伊勢音頭」、「正調伊勢音頭」の他、「扇の舞」、「別れの唄」、「さわぎ」などがあり、それぞれの踊りを受け継いでいる団体により披露されています。また、踊りやすい「さわぎ」は、市内の夏祭りなどでも見られます。
唐人おどり(三重県鈴鹿市)
三重県鈴鹿市東玉垣町に伝わる市指定無形民俗文化財の「唐人おどり」。
毎年4月第1日曜日に、須賀社の牛頭天王春祭りで奉納されています。
唐人踊りは、三重県津市(唐人踊り )のほか、岡山県瀬戸内市で踊られている唐子踊(からこおどり)があります。
鈴鹿市の唐人踊りは、3人の唐人による躍動感のある踊りです。それに対して岡山県の踊りは鮮やかな衣装を着た男児2人による踊りで、それぞれ特色があります。
+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・
(三重県ホームページ)
唐人おどりは鈴鹿市の須賀神社例祭(通称天王さんの春祭り)に行われる。祭日は現在は4月第1土・日曜日で獅子舞、唐人踊り、稚児(浦安舞)、御輿の渡御等が行われる。
唐人おどりは3人の唐人と6人の囃子からなる。唐人はひょうきんな面を被り、鳥の羽を付けた帽子を被り、異国情緒のある服を着て、ドラ・ラッパ・団扇などを手に持ち、囃子、唄に合わせて中腰になったり、ダイナミックな跳躍をする。囃子方は太鼓(「締め太鼓」と呼ばれる猿楽太鼓)2名、鼓1名、横笛2名、鉦とチャンギリ1名からなる。
伝承では、江戸で成功した郷土出身の「ブンヨムサム(ン)」という人から衣装、道具一式を贈られたことが始まりと言われているが、詳細は不明である。「文化13(1816)年」銘の太鼓があることから、その時期にはすでに行われていたと推定される。
唐人おどりの県内の伝承地は、津市(県指定無形民俗文化財)と当地の2ヶ所のみであり、全国的にみても朝鮮通信使関係の芸能は数少なく、貴重なものである。
新権兵衛踊り(三重県紀北町)
ズンベラ ズンベラ♪
心が弾む音楽に合わせ踊られる新権兵衛踊り。
三重県紀北町の種まき権兵衛まつり等で披露されています。
権兵衛さんとは?
便ノ山村に住んでいた上村権兵衛さん。畑仕事が下手で荒れ地を耕し種をまきますが、
まいた所から種をカラスや小鳥に食べられてしまいます。そんな権兵衛さんを、
「権兵衛が種まきゃ、カラスがほぜくる」とはやしたてる人もいました。
しかし努力が実り、権兵衛さんは村一番のお百姓さんになります。
また鉄砲の腕前も名人級だった権兵衛さんは、馬越峠に住み着いた大蛇を退治したものの、
大蛇の毒のために亡くなってしまいます。
「種まき権兵衛まつり」はそんな権兵衛さんを弔う供養祭です。
権兵衛さんは紀北町の英雄です。
+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・
(紀北町観光協会公式サイトより)
種まき権兵衛まつり
「権兵衛が種まきゃカラスがほぜくる~♪」の民謡で知られる権兵衛さんを弔う供養祭。
馬越峠に住み着く大蛇との対決で、見事大蛇を仕留めたものの、権兵衛さんも大蛇の毒を
浴びて亡くなってしまいました。
当日は神楽奉納や海山音頭、仮装行列、もちまきなどで権兵衛さんを供養します。
なかでも権兵衛保存会によるユーモラスな権兵衛踊りは必見!
七福神の舞(三重県名張市蛭子神社)
毎年2月、三重県名張市の蛭子神社で商売繁盛を願い、開かれる「八日戎(ようかえびす)」。
その中で「七福神の舞 」が披露されています。
+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・
(一般社団法人 名張市観光協会公式サイトより)
八日戎
2月8日、鍛冶町蛭子神社で行われる祭りで、「えべっさん」の愛称でよばれ、
縁起物の福笹「吉兆(けっきょ)」が授与されます。
海の幸との物々交換がなごりのはまぐりを売る店が多くの露店とともに立ちならび、
名張に春を呼ぶ風物詩の一つです。